唎酒師誕生秘話

四角い画像

唎酒師誕生秘話

1980年代後半「日本酒」のことを知らないワインのソムリエ達が

1980年代後半。日本はバブル全盛期、‘ボージョレ・ヌーボー’が巷を席巻。外国産高級ワインの消費増と「第4次ワインブーム」を迎えました。必然的にワインのソムリエという職業も脚光を浴び始め、特に多くのフレンチレストランにワインの販売、サービスに専属するソムリエが配置されました。
この頃、ソムリエらは、今だ、ワインのサービスにおいては後進国である現状を鑑み、勉強会をはじめ産地視察、サービス技術の鍛錬などソムリエ職を確立するべく研鑽をはかっていました。
時には、外国人ソムリエやワイン愛好家との交流もはかるなか、当時の若手ソムリエら(SSI創設者・右田圭司もそのひとり)に想像もしていなかった日本酒のことを彼らから問われたそうです。

「日本酒は、どのようにつくられるのですか?」 「どのようにして飲むの?」 「味わいは産地によって違うの?」 「料理とのペアリングは?」

 飲料全般を扱い、精通するべくソムリエとして、また、日本人ソムリエとして、彼らは自国を代表する日本酒について、適切な案内を行うことができなかったそうです。
 このことに大きな問題意識を持った、後のSSI創設者となる右田圭司、初代会長となる木村克己をはじめとする数名のソムリエらは「日本人ソムリエとして日本酒を学ぶべき」と、ワインブームの最中にも関わらず決意したのでありました。

日本酒の販売・提供に不可欠な唯一無二のカリキュラムの構築

 時を同じくして、この頃、若手ソムリエの代表として活躍する右田、木村らに国税庁醸造試験所および日本酒造組合中央会主催による「日本酒ミーティング[座長・吉澤淑氏(国税庁醸造試験所・所長)]」より、日本酒のプラスイメージコメントの作成の依頼がありました。
 右田、木村らは、出来る限りの日本酒を取り寄せ、寝る間を惜しんで、3,000を超える商品のテイスティングを行い、味わい、香りを体系立てることに成功し(後の香味特性別分類(4タイプ))、大きな評価を得ました。
 また、日本酒に関する情報があまりにも乏しい状況を懸念し、この成果をはじめ、多くのソムリエ、日本酒の販売・提供者に、日本酒の適切な販売・提供方法を伝えるべく組織として「日本酒サービス研究会設立準備委員会(委員長:右田)」を、当時、日本酒造組合中央会理事であった高橋篤氏の厚い支援のもと発足させ、日本酒ソムリエ(後の「唎酒師」)育成におけるカリキュラム、教材の開発に着手しました。
 その過程においては、日本酒醸造学の第一人者である前出の吉澤淑氏に醸造理論を学ぶだけでは無く、実際に酒造会社を訪ね、醸造現場の見学、作業の実体験を通じ、日本酒の香味との関連性や適切なサービス論の構築に取り組みました。なかでも、名杜氏と呼ばれた伊藤勝次氏(大七酒造)、小林照正氏(末廣酒造)の両名には、多くの酒造会社、蔵人が、ソムリエの受け入れを拒む中、蔵元も含め、全面的に快く受け入れていただき、昼夜を問わず醸造実習指導をいただき、技術論のみならず、日本酒に込められる作り手の「心」をお教えいただいたそうです。

「唎酒師」の誕生 ~君はソムリエになれ、僕は唎酒師になる

 こうして1991年、右田らは、ついに日本酒の販売・提供者が学び、修得すべき知識と能力をカリキュラムとして体系立て、「日本酒サービス研究会(現「日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会」 」を正式に発足、初代会長には木村克己が就き、全国の若手ソムリエ50 名をメンバーとし活動を開始しました。
 また、このカリキュラムを通じて必要な知識と能力をはかり、証明・保証すべく「唎酒師資格認定制度」を創設し、同年、「第1 回唎酒師受験資格認定講習会/呼称資格認定試験」を実施し188 名の唎酒師を認定。ここに、世界初となる日本酒の販売・提供者資格「唎酒師」が誕生しました。
 以後、「唎酒師」は、日本酒の販売・提供に従事する方々、あるいは、販売・提供職を目指す多くの方々にカリキュラムの履修、資格の取得に励んでいただき、これまでに5万名を超える「唎酒師」が消費者に日本酒を的確、適切に案内、サービス・販売する役割を担っていただいております。